ソファの内部構造を知る

皆様こんにちは。
無垢材家具のBRUNCHでございます。

いよいよ今年も待ちに待ったGWがやってきました。
皆さんはもう予定が決まっていますか。
旅行などに疲れたら目黒通りへのんびり家具屋巡りにでもお越しくださいませ。

さて本日は「ソファの内部構造を知る」ということで、
ソファの製作工場を見学してまいりましたので、
簡単なレポートとしてお送りしたいと思います。

見学してきたのは広島県にありますソファ工場。

広島といえば「府中家具」といって婚礼家具の産地としてのイメージがありますが、現在では総合的なジャンルの家具を生産しています。

それでは本題に入っていきましょう!

こちらは木材をカットする機械です。
こちらの機械で部材ごとに必要な幅を切り揃えていきます。

木材は積層合板や無垢材をポイントによって使い分けているそうです。

 

カットを終えた材料はNCルーターという機械を使い、
ソファを組み上げていく為に必要な穴や溝を加工していきます。

 

こちらの材料に加工された溝の部分に、
ミッキーの耳のような円が彫られていますが、
この穴はボルトの逃げ道になります。

 

こちらの材料にもジグザグとした溝が彫られていますが、
この三角に彫られた部分は縫製をする際などに針の通り道となるそうです。

細かい部分まで計算された加工がされているんですね。

こちらは加工を終えた材料を組み上げたところです。
少しづつソファらしくなってきました。

こちらはソファの座面にSバネが張られたところです。

座り心地に大きく関わる重要な部分。
金属製のバネを手で目いっぱい引っ張りながら固定していくのでとても力がかかるそうです。

引っ張る加減も均等にしなければいけませんので、
熟練の職人さんの経験と技術が必要になります。

完成したフレームにクッション材となるウレタンを貼り付けます。
専用ののりを吹き付けたあと、少し乾かしてから張り付けるのがコツだそうです。

こちらも少しでもズレたり接着が不十分だと仕上がりに影響がでてしまうので、
職人さんの技術が問われる部分です。

この段階で既にソファの美しさが伝わってきますね!

こちらがソファの裏面です。
最初にご覧いただいたボルトの逃げ道がきいていますね。

ここから張地を張り込んで、完成となります。

工場を見学させて頂いて感じたのは、
最新の機械も素晴らしいですが、
そこに熟練の職人さんが培ってきた技術があわさって、
はじめて良い家具というのは生まれるんだと実感しました。

それでは今回はこのあたりで。
また次回をお楽しみに。

 

家具の歴史を少し覗いてみましょう

皆様こんにちは。無垢材家具のBRUNCHです。
桜の季節が終わりを迎え、少しずつ新緑が綺麗な季節になってきました。
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ゆったりとした時間の中で、何も考えずに過ごすひと時は何とも言えない贅沢ですね。
さて、今回の木と学ぶでは「時間」をテーマに木について学んでみたいと思います。
■家具のはじまりは?
現存する最古の家具は古代エジプトの椅子(玉座)やチェストで、なんと3300年前とされています。想像もつかないくらいの時間を経て、なお現存するとはただただ驚くばかりです。残念ながらその写真は掲載できませんが、現在はエジプト考古学博物館に収蔵されているそうで、一度は見てみたいですね。
ちなみに無垢材の家具について調べていると、木の膨張や収縮、それに伴う割れや反りといった木の性質にいきあたります。現代では科学的にいろいろと研究がされていますが、古代エジプトにおいてもそれらの木の性質を理解した上で、家具が製作されていたようです。
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木の家具を作るにあたり、もっとも注意する点は含水率ですが、現代ではこのように機械を使って含水率を測ります。古代エジプトではどういった方法を用いていたのかは不明ですが、含水率を測定する技能を有していたと言われています。すごい文明ですね。
ちなみに最古の家具が形を保ったまま出土された理由のひとつとして、エジプトという乾燥する場所にあったからということが非常に大きな要因と言われています。やはり木の家具は乾燥の状態がもっとも大切だと再認識させられます。
ところで形はというと、椅子にしてもテーブルにしても、実は最古の家具と現代の家具に大きな違いはありません。
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たとえばテーブルは板に四本の脚、そして貫きと呼ばれる補強材が入ったシンプルなデザインです。時代がどれだけ変わっても、基本的な構造が変わらないということは、使い方・使う対象(私たち人間)に変化がないからということでしょうか。それにしても古代エジプトの文明には驚かされることばかりですね。
■生まれ変わる家具
続いてはBRUNCHで取り扱っている家具についてです。
「長持(ながもち)」という家具をご存知でしょうか?
長持とは、昭和時代、特に初期に広く使用されていた和櫃(わびつ)の一種で、衣類や蒲団、調度品等を入れておく長方形をした蓋(ふた)付きの大きな箱を指します。明治末年までは花嫁が輿入れする際の必需品だったそうで、両端にある金具に棹(さお)を通して二人で担ぎ運搬もしていたそうです。
私も実際に長持そのままの状態を見たことはないのですが、実はBRUNCHにも姿を変えた長持があります。
それがこちら。
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長持を使った一人掛けのソファです。
長持だった頃の痕跡がいたるところに残っています。
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金具の少し上に横に入った線が見えると思います。
線より上が蓋です。
この両側に付いた金具を上に上げ、棹を通すことで二人で担いで運搬していました。
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こんな感じです。
移動することを考えているので、木材の中では軽量の桐材を使用しています。
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背面には蓋の持ち手と鍵の痕跡があります。
ちなみに長持は当初、底に車輪を付けた「車長持」が主流でした。
そのまま引っ張って持ち運べるため人気を博しましたが、江戸大火の際に皆が一斉に車長持を持って逃げたため路地がふさがれ大惨事となってしまったそうです。そこで幕府は江戸・大坂・京都の三都で車長持を禁止し、その後上記の棹を通して持ち運ぶ長持が普及したそうです。
昭和末期に普及した箪笥にも長持同様に棹を通して運べる構造が取り入れられていたため、箪笥を数える単位は、1棹、2棹・・・となっています。
長持以外にもこんなものもあります。
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刀箪笥にスチールの脚をつけたコンソールです。
長持も刀箪笥も今でこそ馴染みがありませんが、少し前の日本では日常的に使われていた家具です。
それが姿を変え、また新しい家具へと生まれ変わることを考えると、歴史の一部にふれているような感覚になります。
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こちらはチークの古材を使用したテーブルです。
耐水・防虫・防腐性に優れたチーク材は、古くから寺院や船などに使われてきました。
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時間が経つにつれ耐久性を増すチーク古材を利用したこれらの家具は、釘の跡や傷さえも表情の一部となる魅力があります。
主に海外で使用されてきたであろうチークが古材となり、今は日本でテーブルとなり私たちの日常を楽しく幸せな時間にしてくれています。
今私たちが使っている家具も、後々にはこのように姿を変えて、また次の時代で愛されているのかもと思うと、木の家具はまさに一生モノだと感じることができますね。
どうぞ家具選びの際は、デザインや機能性だけではなく、その木が過ごしてきた時間や背景を想像する楽しみも加えていただければと思います。
それではまた次回。

意外と4月の木〜梨〜

皆様こんにちは。

ようやく春が来たかと思ったら、日によってまだ肌寒い日もある、
気温が安定しない今日この頃ですね。
皆様体調を崩されないようにお気を付け下さい。

さて、今回の木と学ぶブログは、こちらのテーマでお送り致します。

・意外と四月の木〜梨〜

梨は、高さ15メートル程の落葉高木です。

皆様ご存知の通り、8月下旬から11月頃にかけて甘く瑞々しい実をつける樹で、
そのインパクトの方が強いため、あまり春の木という感じはしません。
しかし、花期は4月頃で、大変美しい花を咲かせます。


梨の花

このような綺麗で可愛らしい、5枚の白い花弁からなる花をつけます。
形はなんだか少し桜に似ている気もします。
桜や梅等、有名な春の花に押されぎみですが、それに負けない美しさです。
また、色が白いので、葉の緑の中によく映えます。
正直、樹形がもっと美しければ、桜や梅に並ぶ花として讃えられていた気がします。

・語源
梨の名前の語源は諸説あるそうで、例えば以下のようなものがあります。

・中心部ほど酸味が強いことから、「中酸(なす)」が転じたものとする説。

・果肉が白いことから「中白(なかしろ)あるいは「色なし」

・風があると実らないため「風なし」

・「甘し(あまし)」

・「性白実(ねしろみ)」

・漢語の「梨子(らいし)」の転じたもの

などなど、割ともっともらしいものから、正直「?」なものまで、様々あります。
個人的には最初の、『・中心部ほど酸味が強いことから、「中酸(なす)」が転じたものとする説。』
が有力な気がしますが、皆様いかがでしょうか。

・歴史
次に梨の歴史についてですが、日本で梨が食べ始められたのは弥生時代頃とされ、
登呂遺跡などから多数食用にされたとされる根拠の種子などが見つかっているそうです。
ただし、それ以前の遺跡からは見つかっておらず、野生のナシ(山梨)の自生地が人里周辺
のみであることなどから、古く大陸から人の手によって持ち込まれたと考えられています。

江戸時代には栽培技術が発達し、既に100を超す品種が果樹園で栽培されていたそうです。
そして、明治時代には現在の千葉県松戸市において「二十世紀」が、現在の神奈川県川崎市で
「長十郎」がそれぞれ発見され、その後長らく梨の代表格として盛んに生産されたそうです。

今でも有名な「二十世紀」等の品種は、こんなに昔からあったんですね。びっくりです。


洋梨

梨は個人的にはあのみずみずしさが非常に好きです。
個人的には秋の稲刈りの時の休憩時間に、冷えた麦茶と一緒に食べるのが
とてつもなく美味しい記憶があります。

他に有名なものとして、洋梨がありますが、あれは個人的にすこしもっさりとした、
ぼけた梨の感じがして普通の梨よりは好きではないのですが、それはそれで美味しく頂けます。

今回の木と学ぶブログでは、身近なフルーツの木について調べてみました。
そして意外と季節柄にもよく合っていました。
皆様も、身近なものの木がもしあったら、それについて知識を深めてみると、
より毎日が楽しくなるかもしれませんね。

それでは今日はこんな所で。

昔から使っている木「インセンスシダー」

皆さん こんにちは。

春ですね。
入学式でしょうかね。
おしゃれをした親子とすれ違いました。
私の甥っ子も今年で中学生になるんですが、
入学式には丁度桜が咲き始めて良いタイミングですね。

さて、今日はこちらの樹について調べてみようと思います。

これは「インセンスシダー」と言ってヒノキ科オニヒバ属で、
主に米国カリフォルニア州・メキシコ北西部に分布している。
高さ30mもあり、直径1mにもなる大木です。

フェノール系物質を多く含む為、湿気や虫に対して優れた耐久性があるそう。
防虫処理を施さずに外壁やデッキ、フェンスなどに使用する事が出来るんです。

香りも良いことからアロマとしても使われてます。
杉の中でも最も上品な香りを持つと言われてるそうです。

こちらはハンドソープとハンドクリーム。
香りは、もちろんインセンスシダーです。
とても癒される良い香りがしております。

そして、この木は私たちのとても馴染みのあるものへ使用されてます。
そもそもこれに使われている木ってなんだろう?という事から今回この木について調べ始めたのです。
それはこちらです!

そう。鉛筆です。
学生の頃は本当によくお世話になりましたよね。
今はシャープペンシルばかり使うようになってしまいましたが、
鉛筆をカッターで削るのが私は好きです。

さて、このインセンスシダーは日本だけでなく、世界で75%も鉛筆用材として使われてるそうです。
とても人気な材なんですね。

鉛筆で調べてみると、日本で最も古い鉛筆とされているのが、
徳川家康の遺品なのだとか。
静岡県の久能山東照宮博物館に展示されてるそうです。
ちょっと興味があります。

【なぜ鉛筆にこのインセンスシダーを使われるようになったのか】

鉛筆が発明されたのは今から450年前ぐらいイギリスで「黒鉛」が発見されたのが始まりです。
いつ日本に入ってきて使われだしたのかはわかっていないそうですが、
日本国内での鉛筆を作り始めが明治中期だという。
日本で国産の鉛筆が安定して作れるようになるまでは、
輸入品を使用していたそうです。

鉛筆は国産だとばかり思っていたので、ほとんど輸入品を使用していた時代があったのかと
思うと面白いですね。

木は初めからインセンスシダーを使っていたわけでなく、
エンピツビャクシン・ヤマハンノキ・シナノキ・ヒノキ。
他にもたくさんの木が使用されていたそうです。
その中で、インセンスシダーを使用するようになったのは、
アメリカ内でより豊かな資源を求め、適度に柔らかく削りやすく
できるだけ木理が通直で均質で、安定して安価で調達できる材。
を探したところ、色もよく・香りもよい・削り面もきれいという事で活用されることになったそうです。

インセンスシダーは、伐採するスピードより育つスピードの方が早いそうで、
たーくさんの鉛筆がつくれるわけですね。

身近な物でも調べてみると、知らない歴史があります。
今日は購入した「インセンスシダー」のアロマを香りながら就寝しようと思います。

それでは、また次の機会にお会いしましょう。