10月、日本中の神々は島根県の出雲大社にお集まりになり、人々のご縁をお決めになります。
全国各地の神様がお留守になるので10月の事を「神無月」と呼ぶんですね。
そんな八百万の神々がお集まりになる出雲大社は、日本最古の神社のひとつであり、当時では(今でも)考えられないほどの巨大木造建築物ということをご存知ですか?
今回は出雲大社の歴史と、木造建築物としての側面を調べてみました。
■正式名称:出雲大社(いずもおおやしろ)
こちらは御本殿ではなく拝殿です。
約1トンのしめ縄が飾られているこちらの拝殿でも、かなりの大きさがありますが、「天下無双の大廈(たいか)」と称えられる御本殿はさらに大きく国宝です。
一般の参拝客は手前の門までしか入れず、お正月のわずかな期間に門より先に入れるらしいですが、それより間近に寄ることはできません。
御本殿の高さは約24m、大屋根の総面積は180坪という破格のサイズであり、高さで例えると8階建てのビル、面積は25mプール2つ分に相当する。
創建は遥か神代の時代に遡り、正確なところは不明。
お祀りされている大国主大神様が皇室の御先祖にあたる天照大御神様に「国譲り」された頃、というちょっと想像できないくらいの遥か昔です。
※真横から撮られた御本殿
平成の大遷宮という言葉を聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。
2013年に行われた出雲大社の遷宮は大変話題となりました。
それもそのはず、この神様のお引越しは60~70年に一度しか行われない大変貴重なタイミングだったからです。
同じく話題になった伊勢神宮の式年遷宮は20年に一度ですのでまだ次回がありますが、出雲大社の遷宮を逃した私に次回はなさそうです。
また伊勢神宮は左右の敷地に交互に社殿を造宮(新しく社殿を建てる)するのに対し、出雲大社は修繕のみ。これには巨大な社殿ゆえの理由があるのです。
<巨大ゆえの苦悩>
出雲大社もかつては造宮による遷宮を行ってきました。
しかし、1744年の造宮を最後に修繕遷宮に切り代わり、この度の2013年を含めた4度の遷宮は修繕のみに留まっています。
それは何故か。
その理由は驚く事に「森林資源の枯渇」。
ご存じの通り、日本は古来から木材資源とともにある国ですし、豊富な森が日本各地に存在します。
しかし、出雲大社ほどの巨大建造物を定期的に建て替えるとなると、想像を絶する量と大きさの木材が必要となるのです。
出土した柱でいくと、直径1.35mの巨木を3本束ね、ひとつの柱として使用していたようで、このサイズは天然の樹で樹齢約300~400年、植林でも200年ものと考えられます。
これだけの材木が少なくとも柱1本作るのに3本必要で、梁やその他の部材の事も考えると現代ではもちろん、森林が豊富な過去であっても相当に苦労があったようです。
その証拠に平安時代末期(約1000年前)に出雲大社近くの稲佐の浜に、全長30m・直径2.1mの巨木など100本あまりが漂着し、それを出雲大社造営の用材としましたが、それでも「ヤバイ足りない!」という事態が発生した記録が残されているそうです。
加えて現在の御本殿のひとつ前の造宮の際、それから現在の御本殿の造宮の際も材木が足りなくなり、苦肉の策として霊山のご神木を使用させていただいた経緯もあるそう。
しかし、このような対応が長続きするはずもなく、現在の修繕遷宮の形に落ち着いたのです。
<未来への取り組み>
もちろん、将来の遷宮のために長期的な取り組みもなされています。
広島県三次市では檜の植林が行われ、1ヘクタールあたり300本を目安、総本数600本~900本の植林を予定しています。
しかしこれでも本殿屋根に必要な檜皮の1割にも満たない。
さらに初回採集は100年後を予定してるので、次回の遷宮には間に合わない計算となり、今後未来を見据えた施策が必要とされているのです。
このように出雲大社という歴史的建造物を守り続けるため、気の遠くなるような時間と労力が費やされています。
出雲大社を訪れる機会がありましたら、この何百年、何千年と続く長い物語を思い出してみると、また違った見え方ができるかもしれません。
調べていくうちに今回だけでは書ききれなかった事がたくさんありますので、そのうちまた続きを書きたいと思います。
それでは、また。